<ジャパンタイムズ社説に見る福島第1原発事故への国際的評価と日本人に求められるもの>

「ジャパンタイムズ」は日本最古の英字新聞であり、その性格から、読者層は在日外国人が主流であり、当然国際的基準を前提とした議論を社説等では展開することとなります。

 

今般同紙の726日付社説において、福島第1原発事故に関する社説が以下の通り、掲載されました。

http://www.japantimes.co.jp/text/ed20120726a1.html

 

本件事件が現在、厳正公正な国際社会からは、どのように見られているのか、その評価を確認することは、本件問題の報道を意図的にセーブする我国の主要マスコミに対するマスコミリテラシーの確立に大変役に立つものなのではないかと考え、以下この社説の大意を示すとともに、この社説を受けた当会の感想等を提示してみたく思います。

 

 

(大意)

「安全神話という都合の良い呪縛」

 

723日政府事故調は、福島第1原発事故の最終調査報告書を野田首相に提出した。その調査報告書では、東京電力、規制機関ともに、安全神話への都合の良い呪縛ともいえる考えから、シビアアクシデントへの準備が何もなされていなかったと指摘された。

東京電力、規制機関ともシビアアクシデントが発生するなどとは考えていなかった。

この考えこそが今回の根本的な問題であるということは、東京電力の事故調査委員会も指摘している。


現在の大きな問題は、政府と電力会社は前記の安全神話の呪縛から逃れ、原子力を扱う慎重さが滋養できたかどうかということである。しかしながら、大飯原発の再稼働問題を見る限り、そうとは思えない。

 

福島第1原発で起きたことは「想定外」だったという。しかし事故調はこのフレーズを使うに際して、重要な問題点を指摘している。「原子力ムラ」が「想定外」という言葉を使うときには、低い確率で考えられるアクシデントは、すべてコスト面から排除するという考えがあるという点である。事故調の指摘によれば、電力会社も規制機関も、原子力を管理するための姿勢を欠いていたといえる。

 

原子力発電所によるシビアアクシデントという事態は、飛行機事故や自動車事故とは違うということが忘れられてはいけないのである。

 

国会事故調の委員長をつとめた黒川清氏によれば、福島第1原発の事故は未だ終わっていないという。16万人の人々が家を追われ、避難にともなうストレス等からの老齢者の死亡者も出ている。多くの人々にとって生きるためのすべての希望がなくなってしまっている。多くの人々は仕事をやめなければならなくなった。規制機関と東京電力は、福島第1原発の事故は、普通の人々の生活を事故が奪い去り、痛みと悲惨さをもたらしたことを忘れてはならない。

 

「原子力ムラ」の人々は、自問自答すべきである。人々の健康や生活を守ることを第一に考えるような文化を確立する資格が本当にあるのかどうかを考えるべきである。

政府事故調は、原子力保安院と東京電力は、大きな津波やシビアアクシデントへの備えを何もしてきていなかったと指摘する。例えば、東京電力は、2008年に15メートルを超える津波が福島第1原発を襲った場合のシュミレーションを実施しているが、その具体的可能性について何らの準備もしていなかった。

 

さらに現場でのずさんな作業の実態も指摘されている。3号機では復水機を使って燃料の冷却が試みられた。しかし、冷却装置を手動で切断したのち6時間にもわたり、燃料の冷却がなされなかった。原子炉を冷やすための代替装置を持たなかったことが原因である。

それに比較して、福島第2原発では、他の冷却方法への切り替え前に、原子炉を冷やす代替的措置が存在していた。事故調の指摘では福島第1原発の2号機においても、冷却が不充分でであったことが指摘されている。

 

国会事故調では、地震も今回の事故の原因としているが、政府事故調はこの見解に否定的である。政府事故調は津波を今回の事故の直接的な原因とし、津波到達前の問題を度外視している。

福島第1原発からは、依然として、放射性物質が環境上に排出されている。

もっとも原子力発電所内の複雑な配管が強い地震により無傷であったとは思われない。

 

国会事故調は、パイプに小さな裂け目が生じた程度では、計測機において水漏れの発生を感知することはできないとする。政府事故調は、原子炉を冷やすための水をためるタンクと配管の強化を行わなかったことは公正であったと結論付けている。

 

国会事故調は、公開の場で調査を行い、政府事故調は、ブラックボックス的に調査を行っている。後者の手法は、あいまいさをもたらしているといえよう。官僚にとっては、ありがたい手法といえる。事故に関するたくさんの疑問は未だに未解明といえる。福島第1原発が今どうなっているのか誰もわからない。政府と国会は一層の事故の原因解明を進めるべきである。半永久的な調査機関を設置すべきである。

 

国会事故調、政府事故調、東京電力の事故調、民間事故調、それぞれの報告書の内容には大きな隔たりがある。さらに徹底的な検証がなされるべきなのである。


 

<この社説を読んで>

 

今回の福島第1原発の事故に対して、我国のマスコミは、意図的な沈黙を守り、これ程の国難に際し、マスコミとしての機能を全く果たしていないといえます。

 

そうした中で、このジャパンタイムズの社説を読むと、今我々日本人が認識しなければいけない原子力発電所を国内に設置する場合の国際的な常識が明らかになります。また、原子力発電所の運用というものに対して、如何に日本の政府と電力会社が無知であったのかまたは無知を装っていたのかということも明らかになります。

 

原子力発電所の最大の問題点は、今回の福島のようなシビアアクシデントが起こり得る

というものなのであり、欧米においては、「これが起きたときにどうするのか?」そして、起きたとき被害を最小限に抑えるために、そのためのシュミレーションが常に繰り返しなされるのです。

 

すなわちこれはダメージコントロールと一般的に言われるものであり、この概念は極めて軍事的色彩が強いものです(例えば、航空母艦の甲板のエレベーター部分に爆弾が命中したとしても、それを一部のエレベーター内の火災で止め、全艦火災にまで拡大しないようにする制御をどうするかという概念です)。

 

よってこの一環として原子力発電所には徹底的なダメージコントロールのための機能が設置されることになります。

 

すなわち、シビアアクシデント(メルトダウン等の発生)になった際のダメージコントロールのための切り札として、シビアアクシデント用のフィルター(メルトダウンを含むシビアアクシデント時に原子炉内から放出される放射性物質を0.1%以下とするもの)が欧米の各原子炉には通常装備されており、しかもこのフィルターはすべて多重防護システムとなっており、単独で装備されることはあり得ず、必ず複数で装備され、他の装備が何らかの原因で機能不全に陥ったとしても、もう一つの装備が代替的にフォローできるようになっているのです。

 

掲載した社説において、福島第1原発の冷却システムに代替機能がなかったことに対し、批判がなされていますが、欧米人の眼、すなわちダメージコントロールを概念的に理解している人間の眼から見て、これは至極当然のことであり、原子力発電所を預かる電力会社やそれを制御すべき規制機関がこれで良しとしていたなどということは、任務懈怠を通り越して、職務放棄いやむしろ犯罪的でもあるとすら彼らは、考えています。

 

そして、この感覚が、何らの実質的改善もなく安易に大飯の再稼働を行った行動を含め、今の日本の電力会社や規制機関には、原子力発電を取り扱うある意味資格がないという趣旨の主張につながっていることは明らかです。

 

姑息にも、電力会社や日本政府は、このダメージコントロールの概念を日本の原子力発電所に導入することを徹底的に避けてきました。理由は、至極簡単なことで、もしこの概念を導入すれば、とてもとても原子力発電所の建設コスト等が全くペイしないものであることが明白になるからです。

 

前述したシビアアクシデント用のフィルター自体においても、設置には、100億円以上のコストがかかります。今フィンランドで建設中のオルキルオト3号機は、最初の計画では総コスト3,500億円で建設されるはずであったのですが、その後のダメージコントロールすなわち安全対策への追加要望等から、建設費が膨らみ、2009年には独のジーメンスがこの建設プロジェクトから離脱します。

 

今やその総建設費は15,000億円を超え、これが昨年の仏のアリバ社の経営危機につながったといわれます。世界の原子力業界では、このオルキルオト3号機を称して、「原子力発電所の建設コストにおけるチェルノブイリ」と言う由縁がまさにここにあるわけです。

 

ところで、掲載した社説においては、電力会社と日本政府がこの潮流を日本の原子力発電所に及ぼさせないようにするためにどのような嘘を国民についてきたのかということを明らかにしています。以下大意のものから引用します。「福島第1原発で起きたことは「想定外」だったという。しかし事故調はこのフレーズを使うに際して、重要な問題点を指摘している。原子力ムラが「想定外」という言葉を使うときには、低い確率で考えられるアクシデントは、すべてコスト面から排除するという考えがあるという点である。事故調の指摘によれば、電力会社も規制機関も、原子力を管理するための姿勢を欠いていたといえる。」

 

電力会社と日本政府は、原子力発電所に対する国際的なコストアップを避けさせるため、まさに共謀して、ダメージコントロールの概念の対象となるリスクを「想定外」と位置付けさせ、ダメージコントロール自体を日本の原子力発電所においては、働かなくさせていたのです。

 

さらにこれにオーバーラップさせて表題にあるような「安全神話」に絶対性を根拠もなく持たせさらに国民を欺いたわけです。そしてこの件について重大なことは、未だこの考えは存続しており、その結果が大飯の再稼働なわけです。

 

大飯の再稼働が何故許されるべきではないのか、その理論性はここから明らかになると考えます。

ところで、先月、橋下大阪市長のブレーンでもあるミキハウスの木村社長が「交通事故で100万人が死んでいる。原発でそんなに死にましたか」という会見を行いました。

 

このような発言が出ること自体、日本人の原子力発電所に対する無知さを世界中に示してしまった弁といえましょう。原子力発電所の怖さは起こり得るシビアアクシデントなのであり、仮にこれが起きた場合、この事故は、飛行機事故や交通事故とは決定的に異なった様相を示すのです。

 

すなわち、飛行機事故や交通事故であれば、事故は瞬間であり、ある意味一過性です。しかし、原子力発電所の事故は違うのです。すなわち、「原子力発電所によるシビアアクシデントという事態は、飛行機事故や自動車事故とは違うということが忘れられてはいけないのである。国会事故調の委員長をつとめた黒川清氏によれば、福島第1原発の事故は未だ終わっていないという。16万人の人々が家を追われ、避難にともなうストレス等からの老齢者の死亡者も出ている。多くの人々にとって生きるためのすべての希望がなくなってしまっている。

 

多くの人々は仕事をやめなければならなくなった。規制機関と東京電力は、福島第1原発の事故は、普通の人々の生活を事故が奪い去り、痛みと悲惨さをもたらしたことを忘れてはならない。」この大意の部分こそが、原子力発電所事故の人間にもたらす最大の悲劇の一つと当会は考えますし、実際世界もそのように理解しています。

 

木村社長のような弁が世界に伝わることは、如何に日本人の人間性の喪失と無知さを喧伝しているかに等しい内容になることをご理解いただけるものと考えます。木村社長は恥を知るべきでしょう。あわせて日本の新聞社説においては絶対に書けないフレーズでありながら、今国民がもっとも認識すべき点として、以下のものがあるわけです。

 

「「原子力ムラ」の人々は、自問自答すべきである。人々の健康や生活を守ることを第一に考えるような文化を確立する資格が本当にあるのかどうかを考えるべきである。」

 

原子力発電というものが、「人々の健康や生活を守ることを第一に考える」ならば、そこには、オルキルオト3号機を見るまでもなく、1兆円を優に超える投融資が必要になるわけです。

 

これをそうさせないために、電力会社と日本政府は、嘘を突き通してきました。そしてその嘘をまた大飯を始めとする再稼働において、電力会社と日本政府は堂々とついています。

 

そもそも4つも設置された事故調において、311日以降何が起こったのかすら、4つの事故調ではそれぞれにおいて、事実が異なります。こうなると国際的常識からいって徹底的な究明がなお一層求められることは当然です。これを今後政府が、国会が、そして日本国民がどうするのか、仮にもうこれ以上何もしないとするならば、世界から日本への嘲笑は、前記の木村社長へのそれを優に超えることは間違いないでしょう。

 

(平成2481日事務局記)